「自分に厳しく、他人に優しく」の正体

先日、30代前半に一緒に仕事をしていた元同僚と久しぶりに会いました。

その頃私はマネージャー、つまり管理職なりたて。
リーダーとしてなにをやればいいのか、どうあるればいいのか、迷いながら試行錯誤していた時期でした。
そのひとつの試行錯誤が「自分に厳しく、他人に優しくあろう」というスタンスでした。

ランチを食べながらその元同僚から

「あの頃小川さんほんと厳しかったよね、陰で泣いてたよ」

と冗談まじりに言われまして、苦笑いしました。

「自分に厳しく、他人に優しく」は当時、良かれと思って必死にやっていたことでした。
いまだから笑い話ですが、もし当時こんなフィードバックをもらっていたらすごく傷ついたと思います。

こんな出来事があったので、今回は昔を思い出しつつ「自分に厳しく、他人に優しくの正体」についてのお話です。


Voicyミアビータ公式チャンネルで、毎週土曜日朝8時のパーソナリティを担当しています。
この記事は、2024年1月27日分を配信後、この内容を文章で読みたい方向けに加筆・編集したものです。
音声でお聞きになりたい方はこちらからどうぞ。


目次

「自分に厳しい」理由

以前の私は自分の失敗が許せませんでした。

失敗するとすごく悔しくて、陰でよく泣いていました。
自分はなんてダメなやつなんだと、自分が許せなくて自分に怒って責め続けていたんですよね。

自分に厳しくしていた理由は、大きく2つあります。

まず、自己評価がとても低いことです。

自分はダメな存在なんだ、価値のない人間だと心の奥底で思っていたり、必死に努力してようやく一人前、と思っています。
だから常にまだまだだ、もっとちゃんとやらなくちゃ、と自分にプレッシャーをかけ続けます。

そしてもうひとつは完璧主義です。
ちょっとの失敗や不完全であることが許せないんです。

自己評価が低く完璧主義であるがゆえに、きちんと完璧にやらなきゃいけない、だから自分に対してこうあるべき、という厳しい目を常に向けています。

そして、完璧にちゃんとできているかどうか自分をチェックするために、常に自分を誰かと比較し続けます。
完璧な正しさにこだわって社会規範やルールに厳しくなったりもします。
私もそうでした。
ルールを守ることで自分の完璧さや正しさを表現しようとしていたんです。

自分に厳しい人の「他人に優しい」は「本当は他人にも厳しい」

こんなふうに自分に厳しい人が、なぜ他人には優しくあろうとするんでしょうか。
ここはいろいろな考え方があると思いますが、私の体験をお話します。

マネージャーになりたての30代前半の頃。
完璧主義や自己評価の低さから「何事も率先垂範で正しく示さねば」と自分に対しとても厳しくしていました。

同時に、みんなに好かれるのが良いリーダーだ、と思い込んでいました。
メンバーに厳しくしてもし嫌われたらどうしよう、という恐れがすごく強くありました。

なのでメンバーには優しくふるまっていました。
メンバーがミスをしても「いいよいいよー」と笑って許していました。
もっと正確にいうと、許した、ということにしていたんです。

自分に対する厳しい目は、そのまま他者にも向けられています。

「厳しくあるべき」「ルールは守るべき」という名前のメガネをかけているイメージです。
そのメガネを通して、自分も他者もみているんです。
だから自分に厳しい人は、本当は他人にも同じように厳しいんです。

メンバーがミスすると、自分に対してと同じように、「厳しいメガネ」を通して「だめじゃんそれじゃ!」とダメ出しをしているんです。
でも嫌われるのが怖くて、無理やり「いいよいいよー」と寛容なふりをして、「許した」ということにしていたんですよね。
自分の心と行動が一致しない、アクセルとブレーキを同時に踏むような感覚でした。

「自分に厳しく、他人に優しく」の何が自分を疲れさせていたのか

アクセルとブレーキを同時にふむ。
想像するだけでエネルギーをすごく浪費するし、実際すごく疲れることでした。

なぜなら、許したふりをすることで、そのミスの対応を自分がやることになるからです。
メンバーにフィードバックをしないことにもなるので、メンバーも育たず、自分の仕事がどんどん増えていきます。
完璧に、きちんとやらなければならない仕事がますます増えてせっぱつまっていく。
自分の中で起きている、ものすごい悪循環でした。

心がそんなふうだと、余裕が全然ありません。
ふとしたときに小さくため息をついてしまったり、他のことに気を取られてそっけない態度をとってしまったり、疲れていつも目の下にクマがあったり。
きっといろいろなところに心の状態が出ていたはずと思います。

人には優しくしていたつもりなのに、本心では優しくなんてありませんでした。
嫌われたくない一心で許したふりをし続けて、自分のことだけで必死になり、周囲にはきつい関わりをする人になっていたんです。
本当に報われないことをし続けていました。

自分に厳しくしなくても生きていける


メンバーを許したということにして自分で仕事を抱えて続けていたことに加え、忙しさも頂点に達し、30代後半で体調を崩して3週間強制入院しました

完璧にちゃんとやってきたのに、突然体が動かなくなくなってしまって。
必死に築いてきたものが一気に崩れ去った気がしました。
「この世の終わりか」というくらい落ち込みました。

退院しても無理はできない状態が長く続きました。
入院前が100だとすると、40くらいの状態でゆるゆる仕事をせざるをえなくて、すごくもどかしかったです。

しかたなく悔しいきもちでゆっくり仕事をして半年くらい経った頃です。

「あれ、できていないことがたくさんあるけど、普通に生きていけているな」

と気付きました。

過去の「自分に厳しい基準」からするとまったく完璧ではありません。
「それでもやれている」し、楽だし、結構楽しいかも、と気づきました。
ここがターニングポイントでした。

気がついたからといって、長年しみついた「自分に厳しく」は簡単には手放せませんでした。
でも自分に厳しくしているときは、以前のように心が苦しくなりました。
なので自分で気がつけるようになりました。

気がつけば意識してゆるめることができます。
自分に対しての厳しさがゆるむと、他者に対しての厳しさも同じだけゆるんでいきます

そして私の言動が変化していき、周囲との関係性も変化していきました。

このように少しずつ「自分に厳しく、他人にやさしく」が「自分にやさしく、他人にもやさしく」に変化をしていきました。

自分に優しくなると、過去の自分が愛しくなる

あの30代前半の「自分に厳しく、他人にやさしく」と信じていた自分。
自分の中の完璧さや、自己評価の低さを抱えながらも、なんとか良いマネージャー、リーダーになりたいと背伸びして、いろんなことを学ぼうとして、がむしゃらで必死だった自分。

いまふりかえると、当時の自分に愛しさすら湧いてきます。

「ほんとうにがんばっていたね」と心から伝えたい。
あのときがあるから、今の私がある。

こういう視点も「自分にやさしく」のひとつなのかなと思います。

自分に厳しく、他人に優しく、が自分の中でうまく回っているから大丈夫ならば、そのままでいいと思います。
そして、厳しいメガネも持っているし、優しいメガネも持っていて、使い分けるよというのも一つのやり方です。

私の体験からお伝えしたいのは、
自分に厳しいまま、他人に優しくするって、自分の本音とは違う行動をするから疲れますよねということです。
エネルギーをすごくここに使ってしまっているんです。

もしもあなたが「お、いま自分に厳しくしてるな」と気づいたら、立ち止まってすこし休みましょう。

厳しくしたいのは理由がありますからね。
かつての私のように、良いリーダーでありたいという願いがあるから、自分に厳しくなってしまうんです。

そんな自分の願いを噛み締めながら「だからこそちょっと休もう」と自分に優しくしていれば、
無理に他人に優しくしようとしなくても、自然と優しくなれるものなのです。

自分の本音を大切に、本来のあなたでいれば
疲れることもないし、自然体で人と関われるようになるのです。


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小川恵子 コーチング お問い合わせ コンタクト everblue.evergreen.
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