昔から道に迷いやすいです。
子供の頃はよく迷子になって叱られました。
大人になったいまでも、待ち合わせ場所が見つけられないことはしょっちゅう。
方向音痴の理由は諸説あるようですが、私の場合は理由がありました。
今日はそのことについて書きます。
仕事の時、一体どうしているのか
基本、迷うことを前提として早く会社を出ます。
仕事のアポの場合には、当然道に迷って遅刻などは許されません。
GoogleMapsが常に使えるよう、出かける前にスマホの充電を十分にチェック。
さらに念のため訪問先の地図を印刷して持参します。
残念なことに印刷した地図を会社に忘れるということもよく起きるため、出かける前のチェックは入念に行います。
それでも罠はあらゆるところにあります。
まず、地下鉄の出口がうまく見つけられないことが多いです。
A3やら、B2aやら、たくさんの出口がある大きなターミナル駅は特に危ないです。
そういえば、そもそも出口以前に駅の中で迷っています。
やっと出口を見つけても、地上に出た瞬間に方向感覚を見失います。
自分がどちらの方角を向いて立っているのかわからなくなります。
スマホ片手にGoogleMapsを拝みながら、方向を見つけるために地下鉄出口でクルクル回っている人がいたら、それは私です。
運良く地下鉄出口に地図があれば、GoogleMapsとその地図を入念に照らし合わせて方向を確認、一歩を踏み出します。
この一歩目が間違えていると、だいぶ先に行くまで間違いに気づかずに遅刻するはめになります。
慎重に情報を照らし合わせて・・・ここまでですでにかなりの時間を要しています。
そしてこの時印刷して持参している地図のことはだいたい忘れています。
アポの時にはほぼこんな手順を踏んでいます。
おかげで、仕事の時に道に迷って遅刻するということはほとんどなくなりました。
普段はどうしているのか
アポが終わった後は、一気に緊張感から解放され自由に歩きます。
空を見上げて雲と同じ速さで歩こうとしたり、植え込みの花の香りを嗅ぎたくなったり。
キラキラ光る川面を延々と眺めたり、散歩中の犬と目が合えば見つめあったりしています。
そうこうしているとだいたい道に迷います。
そもそも進行方向や道路を見ていないので当然です。
運良く交番を見つけられれば、そこで駅の方角を入念に教えてもらいます。
私の様子を見て心配した警官の方が、メモ書きを渡してくれることも少なくありません。
みんなとランチに行く時にはたいてい先頭を歩きます。
まるでそのレストランの場所を熟知しているかのように堂々と先頭を歩くため、みんな騙されますが、実は道は全く分かっておらず適当に歩いています。
そして全員を路頭に迷わせます。
私をよく知る人はこの傾向をわかっているので、さりげなく私の隣を歩いて進む方向を調整してくれます。
実は好きで道に迷っていた
私のこの性質は、長年仕方がないものだと思っていました。
しかしコーチングやカウンセリングを学ぶ中でNLP(神経言語プログラミング)という実践心理学に出会い、自己理解が深く進むと、この「道に迷う」行動は実は「好きでやっている」ことがわかりました。
私は決められた最短ルートを正確に効率的に進むよりも、自分で見つけた道を自分なりのスピードで、自分の好きなように進むのが好きなのです。
ランチも適当に歩いてその辺の店に気ままに入るのが好きなのです。
アポに行く時は仕事ですから、ビジネススキルを駆使して迷わないように行動を調整しますが、帰りは自分の自由に歩きたいのです。
これは幼少時に厳しい両親の元で育ったことが原因であることもわかりました。
子供の頃からよく道に迷っていたのは、そんな抑圧された日々への無意識の反抗だったのかもしれません。
道に迷うことの非効率さと楽しさと、予定不調和のワクワク感。
これは今も私の中の大切な価値観のひとつです。
たとえばワークショップのときに全体シナリオは作るものの、参加者の自由にできる余白を残した設計にするのが好きです。
コーチングでも基本的にクライアントがやりたいことをやりたいようにやるのをサポートします。
なぜなら、やりたいことを自由にやることの楽しさと、そうすることで自分の人生を生きている感覚を私が充分に知っているからです。
方向音痴、道に迷う。
自分が長年繰り返しやっていることには何らかの理由がある、そんなお話でした。
誰しもひとつくらいは、長年手放せずにいることがあるのではないでしょうか。
それは必ずしも、手放さなければならないもの、矯正しなくてはならないものではないのかもしれません。
あなたが大切にしている価値観を尊重する行動なのかもしれませんね。
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