「役割がない」という役割

私たちは常に何らかの役割を担って生きています。
先日、この「役割」について新鮮な体験をしました。

このブログを読んでくださっている方は、人生経験でいろいろな役割を担い、今も忙しい方が多いと思います。

「役割」について考えてみるきっかけとなれば幸いです。

目次

役割とは

生きる上での役割とは。

私はキャリアカウンセラーでもありますので、キャリアデザインの視点から説明します。

アメリカの研究者、ドナルド・E・スーパーは、「キャリア」の定義をこのように考えました。

人生の様々な時期に果たす役割(ライフロール)の組み合わせこそが「キャリア」である。

ドナルド・E・スーパー

「キャリア」という言葉は「職業・技能上の経験、経歴」という意味あいでキャリアカウンセリングの世界で用いられ、「狭義のキャリア」と定義されています。

でも私たちの人生は、仕事だけで構成されているわけではありません。

そこで「キャリア」に「生命、生涯、生活」などの意味を持つ「ライフ」という言葉を付け「広義のキャリア」としています。仕事に限らず、家族や社会的な活動などにおける多様な役割を含んだ、「生き方」全体を指す言葉と言われています。

「キャリアは一生発展し続ける」という考えのもと、ライフキャリアは年齢・役割(ライフロール)・場面(ライフステージ)の組み合わせであるとする考えがスーパーの理論です。

これは「ライフキャリアレインボー」という図です。
この「レインボー=虹」は、人生における代表的な役割の変化や重なりとその変化を表しています。
人は常に何らかの役割を担っているということがわかります。

リクルートワークス研究所より

役割は必要か

役割は人に居場所を与えます。
役割が生きる目的や、前に進む原動力になることもあります。
「役割分担」をして、大きな仕事にチームで取り組むこともあります。

スーパーの理論でいうように、常に人は何らかの役割を担っています。
ですがこの「役割」が今のその人にとって適切かどうか、悩むこともあります。

与えられた役割と、その人が担いたいと思っている役割にギャップがあると、その役割は人を悩ませたり、疲弊させたりすることもあります。
一方で「役割が人を育てる」と言われるように、与えられた役割が成長のきっかけになることもあります。

役割にはいろいろな意味があり、安心、エネルギー、違和感や悩みなど、わたしたちのエネルギーのいろいろなところに関係しているのですね。

役割を手放す体験

ところで、最近の私は役割が増えすぎていると感じていました。
新しいことに次々と着手すればそれは当然のことでもあります。

多くの役割を自分の頭の中でスイッチして毎日あれこれと対応する日々。
マルチタスクな物事の進め方は好きですが、やや過剰になっているなと感じていました。

その証拠にタスクが漏れたり忘れっぽくなったりしていました。
役割を思うようにこなしきれない自分にがっかりしたりすることも。

そこで先日、いくつかの役割をあえて手放してみました。

とある仕事でイベント開催がありました。
メンバーは十分に育っており、もともと私がいなくても良いイベント。
ここにあえて参加してみました。

当然私の役割はありません。
運営を担当するメンバーの邪魔もしたくなかったので、本当に空気のようにただそこにいてみました。

すると、普段は見えていなかったものが見えてきました
その場にいる人のちょっとした言動、表情、場の空気感。
落ちているすごく小さなゴミに気づいたり、こっそりと困った表情をしている人を見つけたり。

運営のことや自分の役割も気にせず、休憩時間に参加者と無目的にただお話したのはとても楽しかったです。

普段ならこの手のイベントでは、何かの役割があったり、現場の管理監督とかプロジェクトマネジメント、あるいはスーパーバイザーみたいな役割が多かったりするので、なんだかんだと目的ありきで目配り気配りで気を使います。

その役割を放棄してただそこにいてみたら、とてもリラックスでき楽しい時間を過ごすことができました。

役割を手放して気づいたこと

今回の試みで、私自身気づいたことです。

役割がプレッシャーになっていた。
役割に縛られていた。
役割のおかげで成長できていた。
役割がたくさんあることで安心していた。
役割を言い訳にしたこともあった。
役割がないと不安に感じることもあった。
役割がないと自由感はアップするがそれは時と場合によりそう。
役割は与えられるばかりではなく自分で作るものでもあると気づいた。

以上が帰りの新幹線で振り返ってみた内容です。

ここまで人生を歩んできていつも当たり前のようにあった役割を、自ら自分の思考や言動に影響させていると気づきました。

勝手に前提を作ったり制限したり、役割を言い訳にしたり、役割があるおかげで役割を乗り越える喜びを得たりしていました。

また、この日は役割を手放したつもりではあったものの、結局のところ自分でその場の役割を自然に探し担っていたのかもしれないとも気づきました。

「役割がない人」という役割を担おうとしていたのです。

役割がある普段の前提では気づけなかった、役割分担の隙間を埋めるような役割。
運営側の役割分担の隙間で見落とされている小さな景色や気持ち。

こういう「役割」も必要だな、と実感しました。
今度イベントを企画するときにこの「役割のない役割」も意識して盛り込んでみようと思います。

手放したつもりで結局役割を探して担っている私(笑)
ただの寂しがり屋なのか、ワーカホリックなのか、心配性なのか、お世話好きなのか。

この人生における役割というものを探求する日々、まだまだ続きそうです。

小川恵子 コーチング ブログ 「役割がない」という役割

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